トリツギは終わった?

middleman米国出版界の悪夢が「B&N」なら、日本のそれは「取次」だろう。前者は消費者との関係で、こちらは配送と採算性という、存在の危機にあるわけだが、在来サプライチェーンでのボトルネックを占めていた点が共通している。つまり、印刷本販売における書店・取次の空洞化である。インターネットのないB2Cの空洞化と言ってよい。

書店と読者が必要とする限り残る

distribut日本経済新聞は「『トリツギ』の危機 書店に本が来なくなる日 」という記事を掲載し、日本的書店流通の存続が危ういことを「公式」に告げた。かつては是非の議論すらタブーとされた「取次制度」は昨年あたりから軽視、無視される傾向が強まり、5月には日販・平林彰社長自らが「取次業は崩壊の危機にある」と述べたことが伝えられた。これは構造赤字が拡大に転じて廃業も遠くないと予告したものだろう。日経の記事が書いているように、出版・取次・書店は伝統的な「もたれあい」の関係にある。「廃業」は影響が大きいので予告するというのに近い。本来なら三者協議でエコシステムの現状と再構築の可能性について議論を重ねるべきなのだろうが、もともと「独禁法の例外としての再販」という複雑な事情もあり公開の議論には適さないのだろう。

取次の問題は物流コストの問題で、その背景には書店市場の縮小による採算悪化がある。書店(書籍)を支えていた商品はマンガと雑誌だが、これらが売れなくなったことで、数は多いが効率が悪いコンビニ・ルートが拡大するが、それがさらに書店、取次の収益を悪化させた。もちろんアマゾンは無関係だ。書籍・雑誌・マンガはもともと必ずしも相性が良いものではなく、ただトリツギにとって必要だったに過ぎない。そのトリツギの維持がそれぞれのステークホルダーへの負担を重くし、システムの転換を難しくしたということだ。

ポスト・トリツギ時代の出版流通

clientいずれにせよ、利益を出せないエコシステムは維持できない。ハードリセットの時は近づいた。新しいシステムは、以下のようなものである必要がある。
(1) 最初から「デジタル」を前提にする。
(2) 著者とオーディエンスへの付加価値を明確にする。
(3) コンテンツの販売以外のパーソナル/ソーシャルな付加価値を持つ。

戦争経済の中で生まれたトリツギは、「定価販売」「返本」などを価値としてきたが、それが継続するには「出版金融」を統合する以外になかったし、そのために市場の効率やサービス競争を阻害した。世界中どこでも、最も経済効率が悪いがゆえに孤立した流通を維持してきた本と出版は、それを最大の利点として起業したアマゾンによって徹底的に利用された。アマゾンはそこから最も広汎なユーザーと結びついたが、それは上記の3点をもとに比較優位を築いたからだ。ポスト・トリツギ時代は、別の形で同じ課題に挑戦するしかないだろう。 (鎌田、08/16/2018)

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