「炎上」するWebと「燃え落ちる」紙

burning2「新潮45」の休刊(廃刊)は、Webと活字の関係を考えさせる事件であった。活字出版社がWebというメディアの罠に落ちた。「Web・TV・活字」の炎上サイクルのやり繰りに活路を見出したかに見えた出版社の現場が、焦って下手を打った。版の軽重が問われる、追い詰められた土壇場で…。

「Webの罠」にご用心

紙が燃えやすく消しにくいことは、一番知っているはずだった。Webは注意して、徹底的に使うか、それとも無視するか(無視されることも含めて)二つに一つしかないと思う。Webの罠とは何か。それはWebは「利用した」ものに代価を要求する、ということだ。使ったという意識はなくても、Web空間に呑み込まれた「話題」が暴走し、話題の発信者に返ってくるから恐ろしい。

いまや最大多数が利用するWebは、小さな声でも拡声器でも「反響」することで巨大な圧力となる。街頭で拡声器を使われたら、そしてそれが「知られた固有名詞」や「気になる事件」だったら、たいていの人が振り向くだろう。言われた人が必死に止めようとすれば、人だかりは大きくなる。Webでは、すぐにライブ中継が始まりアクセスが急増する。それじたいがイベントになる。管理者がいないWebの前では「万人が平等」だからだ。これが炎上である。防火壁もない平地なので、紙は一番よく燃え、風では火は消えない。

活字が「考える媒体」として重みがあったのは、素材と手段の希少性による。考えて語った言葉には相応の重みがつき、読者を威圧し、遠ざける。版の形はなくなっても印刷されたものからは逃げられないので、著者も出版も読者と社会(時には当局)という2つの存在を意識しておカネを遣う必要があり、活字を手段として専門的に扱う出版社は、それだけのリスクを負っている。リスクを冒さなければ部数を取れない。

老舗の出版社が尊重されるのは、それだけの歴史の試練を経たことによる。昔風に言えば「汗かき・べそかき・恥かき」の(三かき)の末にということかもしれない。「電波メディア」は、脊髄反射的な即応性と跡が残りにくい(音声言語なので逃げやすい)媒体の特性から、視聴率とスポンサー(売上)を気にしていれば「言葉」と読者への関心が薄れてもやっていける。それに放送は極端なまでに非対称だから、「高い」ところは絶対的な優位だ。

20世紀のメディア世界は、浮遊するTVに対し、逆に「考えるメディア」としての活字、という棲み分けで安定していたと思う。しかし、Webの登場で、情報の量やフォーマット、配送距離やオーディエンスの数によるメディアの序列は意味を失った。

Webは中心のない双方向で、汎用通信手段であって「版」という特定の依り代を持たないので、大統領からテロリストまで、誰でも何にでも使える、軽量で強力、ピンポイント攻撃もできる現代兵器だ。いまはメディア情報に敏感なアメリカという国が炎上中で、世界戦争の引き金が「偶然」にでも引かれる可能性はかなり高い。公職にある政治家にTwitterやFacebookへのアクセスを与えたのは間違いだった。Enterキーひとつで「出版」できるWebは、「愛」から「憎悪」まで瞬時に送る。もちろん「フェイント」「時間差」「バックアタック」なんでもあり。Googleは当局の要請でフィルターを操作することを認めた。かつて中国進出を断念したほどの「検閲」問題だったが、Web空間は自由の国で「保護観察付」になった。

「炎上」に弱い紙と物質世界

burningWebは「ハイパーテキストの世界本」の構想から生まれた。誰でも自分の「本」を編集できる。どんなテーマ、素材にもリンクを付けられる。読みたい人に読んでもらえる。しかし、活字と違って著者が矢面に立つことは避けられない。出版までに熟考することは多い。コンテンツの社会的コンテクスト (5W1H)を最適化するということだ。

「文春砲」も活字の陰に隠れるわけにいかず、「何が問題」で「意図は何か」をより暴力的に追及される。会社のために働いた編集長氏は大怪我を負った(と思われる)。Webでは「社会性」は旧メディア(いわゆる「ジャーナリズム」)とは無関係なレベルで、発信者に降りかってくる。

すべての媒体を兼ね、実体がない「最大多数による最大多数のためのオムニ・メディア」であるWebが登場して、大衆社会の「話題市場」のルールが変わった。圧倒的な量の「情報」から「選択」された「話題」がWeb上でタダで消費されることになったのである。「活字」も「電波」も便所の落書きを追うようになった。誰でも便所の世話にはなるので、特に公衆用のものには敬して遠ざかるに越したことはない。

活字関係者には、無視すれば自ら無視され、機会(たぶん読者)を逃すという切迫感がある。デスパレートな心境に陥った一部の活字関係者がいても不思議ではない。「新潮45」事件は、Webを追いながら活字を売る「活字」の商売は危険が多い、どころか伝来の金看板を破壊する可能性が大きいことを示した。では、逃れる方法はあるかを考えてみよう。 (鎌田、09/27/2018)

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