E-Book価格戦争小史(2):「版」の膨張とその結末

本の価格は出版社にとって死活的な意味を持っていたが、メーカー(版元)と小売(書店)の問題としてだけ見ると歴史を見失う。本は社会的商品であり、市場では経済的価値だけが取引されるわけではない。社会には、つねに「表現者と生活者」つまり「著者と読者」がいた。デジタルとWebは、彼らを巻き込み、版の経済価値を減少させ、最終的に本の伝統的秩序を脱構築した。

版と出版の関係の始まり

本は統治者と僧侶によって生み出された知的・精神的創造として生まれ、1000年ほどかけて「社会」に拡大していった。活字出版は「社会」と「個人」の関係を変えたことでメディアとしての威信を確立し、大学と印刷所を中心に、近代の出版の社会的・経済的秩序を主宰した。その基本的単位が「版」である。

印刷を前提とした出版における版は、文字通り印刷機を通して複製され「本」として実現される「原稿」として意味を持った。経済価値としての版権 (copy-right)は、これに対応する。

以来、出版社の仕事とは、原稿をもとに組版して印刷原板を制作することと同じになっている。そこは印刷の一部と不可分で、出版における「印刷」の存在を重いものにしていた。ビジネスとしての出版は、印刷の中から生まれ、グーテンベルクの銀河の栄光とともにあった。

出版の独立は、組版・印刷・製本技術の進化と印刷業の巨大化によるスピンオフを背景にしている。米国の老舗印刷会社(ドネリー社など)が、傘下に出版社を少なからず有しているのはそのためだ。クァッド・グラフィックスの21世紀戦略が、印刷の本質がコミュニケーション+情報技術にあることを再発見するところから出発したのは当然である。(参照:「アメリカの「大凸」が年内に合併!」(本誌記事))

初期の出版は、「組版」コストが大きな比重を占めた。現在の著者の版権料率(定価×刷部数の10-15%を目安とする)は、その時代の費用負担を考慮したものだ。組版・製販技術の進化は、出版社に有利にはたらき、出版はタイトルを増やすことが出来た。1970年以降のデジタル化は、まだ記憶に新しい方も多いと思うが、とくにワープロの普及による出版の生産性向上が著しく、20世紀中、市場は制約を感じさせなかった。しかし、流通の許容量(とくに広告系)を超えた出版が「活字バブル」の崩壊を準備していた。

文字・活字・組版の大衆化と「近代」の黄昏

1995年に始まったWebがメディアとしての出版に与えた打撃については、別に検討するが、それはワープロからDTPに進む過程で発展した「文字入力の大衆化」「活字の大衆化」「組版の大衆化」が重要なポイントだろう。Web(HTML) は、これらのために違った意味を持ってきたからである。著者が出版技術に接近し、版権料率に疑問を抱く要因となったのだ。

活字の桎梏から解放されていた出版社は、出版の本体は製販フィルムと考えていたが、著者にとって出版とは、第一に「活字」の支配であった。Webで「発信」の自由を得た著者たち(というより、まだ活字へのアクセスを享受していないその志望者)が、初期電子出版(DTP)に続いて登場した「E-Book」に期待するものは大きかった。

オンライン書店としてのアマゾンの実績が皆無だったとしたら、つまり「読者」「評者」はもちろん、「著者」を納得させるマーケティングの仕組みを持っていなかったら、E-Bookはただのガジェットでしかなかっただろう。しかし、アマゾンは10年以上にわたってWebで読書空間を構築しており、読者と著者がともに期待するニーズに応えたものだった。それがKindleの前提であり、音楽ソースの場合と違う点だ。オンライン書店とE-Bookが成立する条件は、在庫とロジスティクス以上に、著者と読者(=読書)へのコミットメントによるWeb読書空間であった。(図は自主出版のしくみ=Wikipedia)

デジタルの普及で、資本とスキルの壁が隔てていた「メディア」が、Webによって「社会的」に共有されたということだが、皮肉にもそれは伝統社会を解体あるいは変質させた。非対称性を前提とした秩序が崩壊する際の社会の混乱といえば、17-8世紀を連想させるが、Webは「近代」の遺産を解体したことになる。 (鎌田、01/08/2019)

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