E-Book価格戦争小史(4):Web出版

メディアはグーテンベルク以来の転換期にある。「版」はデジタル化に仮想化されて威光を失い、「私語」をソーシャルに共有できるWebコミュニケーションは、逆に在来「メディア」本来の仮想性を白日の下に晒して秩序は瓦解する。芸能、学校から国際関係まで、あらゆる「社会」に広がる「学級崩壊」状態は、すべてデジタル/Webから、ほんの20年あまりの間に起こった。

Web「出版」の熱狂と高揚

2007年11月のKindle送信開始以来、出版界とメディアの関心は、物理的実体を持たない「本」を果たして人々が受け入れるか、次にどの程度のシェアを占めるかに向けられた。2010年からは50%に達するまでのカウントダウンが始まった。しかし、それ以上に誰もが驚いたことは、版どころか版元をもたない著者出版によるE-Book自主出版が「現象」から「市場」へと飛躍していったことだ。そしてそれが、「アマゾン vs. 出版社」として始まった価格戦争の帰趨を決定する最大の要因になった。

アマゾンはKindle開始とほぼ同時に自主出版 (KDP)を開始した。マーク・コーカー氏のSmashwords (2008-)が「著者のためのプラットフォーム」を開設し、カナダのWattpad (2005-)は「ソーシャルな出版プラットフォーム」を始めていた。ともにこの10年を生き抜いており、後者は全世界に6,000万人以上のユーザー(著者とオーディエンス)を得てなお成長を続けている。これは小説(著者と読者)においてソーシャル(非市場的共有)が成立することを実証した。科学とテクノロジー、ジャーナリズムにおいても同様で、もともと「出版か抹消か」というストレスの世界だから、Webにおいて「出版の爆発」は必然だった。

デジタルとWebが「出版したい著者」を自然発生させたのだ。そこには熱狂と高揚があり、エネルギーが発生する。それを反映して、2010年前後は、世界的にデジタル出版ベンチャーが多く生まれた。なかでもアマゾン以上の社会実験となったWattpadは、著者/読者というものが、出版という社会的行為によって同時に生まれる関係であり(適切な媒介さえあれば)商業的に中立な形で実現されうるということだ。これは歴史的、世界的な現象であり、アマゾンがいなくても成立したことだ。

「著者と読者」の発見

Webによる非商業出版の爆発は、城壁の向こうの「商業出版」を驚かせたが、伝統のシステムに護られていた業界にとってすぐには脅威にならなかった。壁の向こうの「本」が流入する恐れは少ないと思われたが、アマゾンはこの自然発生のエネルギーを利用できなければ、そのビジネスモデルが崩壊することを感じていた。iPod/iTunesというモバイル・プラットフォームのアーキタイプがすでに存在しており、「ラストワンマイル、ガジェット、キラーコンテンツ」探しの熱狂を市場が煽った時代だ。

伝統的な枠組みからまったく自由であったアマゾンは、デジタルがもたらす「学級崩壊」現象を新しい出版の市場秩序に導くデザインを持っていた。それに対して、出版を中心とするメディアは既存の秩序を護る以外の考えを持てなかった。それほど変化が爆発的なものになるとは思えなかったのだ。スピードについては筆者も同じで、しょせん日々の仕事と収入を持っている人々が「日常」の変化に気づくのは無理なことだと思っている。

アマゾンは、Webを主宰する商売柄、もともと「著者と読者」が互いに鏡に映る存在(チャールズ・クーリーの有名な鏡像的自我、社会的自我)であることに注目していた。読者は必ずしも著者ではないが、読者であったことがない著者はいない。

もちろんWattpadにはアプローチしたが、中国系カナダ人の経営者は「アマゾンには売らない」ことを公約していた。アマゾンは「著者中心のソーシャル」のモデル化については何度か挑戦しているが、成功していない。 (鎌田、01/24/2019)

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