人類最古のメディア「文字なき声」の復活

30年ほど前から、デジタルで「本」のかたちがどう変わるかが注目され、本誌もそれをテーマとしてきたが、考えていたのは、読める/使える「本」に囚われていたのではないかと最近は反省している。本は同じ「形」とともにだけあったわけではなく、文字・図形とイコールでもなかったからだ。デジタルが復活させたのは、限定なしの言語コミュニケーションだった。

始めに「声」があった

インドでも「言葉は神であり、神は言葉だった」と言われる。ではその初めの言葉はどう「表現」されていたのだろうか。耳で聴く以外にはなかったろう。人類は耳で聴いた言葉を苦心して文字で表現しているが、いまだにその力は完全なものではない。人間のものだからだ。

人類にとって、音声言語は文字言語より数十万年も長い歴史を持っている。個人にとっても、音声より多くの文字を書く人はほとんどいないだろう。文字と活字はその記録性と権威によってリードしてきたが、多くの場合は第三者(あるいは機械)を介していたのに対して、声は話者の表現力によって自在性があり、近代以前は強いコミュニケーション力を発揮した。歌舞伎やシェークスピアは、舞台なしでは生まれなかったと思われる。

あまりに個人依存であったために、客観性のある文字出版と、ライブ性のパフォーマンスに分かれたのが近代の歴史であり、さらに後者は国家のもとで生まれた電波メディアを得て、特別な「公共的=商業的メディア」として再構築されてきたのが20世紀以後の歴史である。

デジタル/Webが、メディアだけでなくコンテンツも変えることは想像されていたものの、現実におカネにつながらなければ何も動かないのがビジネスで、言語表現はいまだに文字として生まれ「版」を紙に刷る形で行われている。あらゆるメディアが記録・再生・変換可能となっている時代に、ビジネスは最も保守的なものなのだ。しかし、ビジネスモデルが実証され、Webで生活に浸透すれば、それは社会を変え、世界を変える。Webはローカルとグローバルの境界を外し、ラジオと活字の境界も外した。Audibleの創業者は、むしろラジオの延長での音声メディアを考えていたと思われる。

Audibleはアマゾンより「アップル」に近かった

アマゾンは、Kindleとのそ完璧なカップリングを構想しながらも、Audibleを独立したまま維持した。これは音声出版と独立させるほうが市場の発展にプラスであると判断していたことを示す。20世紀の終わりには、AIによる自然言語処理が文字/音声の両面で劇的に進化し、距離が接近した。21世紀はむしろ音声が文字をも使いこなすことによって「活字産業」を逆転する可能性があると考えるのは自然だろう。

Audibleは、アマゾンとほぼ同時期に(しかしまったく無関係に)Webベンチャーとして生まれ、iPadとともに育った。おそらく創業者のアンドリュー・ハフマンが急逝しなかったら、アップルのファミリーとして発展していたかもしれない。しかし、創業以来、Audibleとそのビジネスに最も注目し、Kindleと音声メディア・プラットフォームに加えることを考えていたのは、アマゾンだった。Audibleを買収したのは2008年で、わずか3億ドルであったことは信じられない。それほどWebメディアとしての「音声」の価値は低く見られていたということだ。アマゾンは、Kindleとは別ブランドの「オーディオブック」事業をアップルユーザー・コミュニティのもとで育てた。「iPhone専用オーディオブック」という関係が切れたのは、2年ほど前のことだ。

ハフマンは「本」ではなく、「ラジオ」でもなく、それらより遠いところからWebオーディオ・メディアを構想していた。アマゾンが尊重しているのもそれだ。本のオーディオ化は第一歩に過ぎない。Audibleの次のステップは「ラジオ」と「演劇」を中心とした、より深いニューヨーク文化で、これによって、出版はより多様性を持つだろう。「聴くことで理解された言語コンテンツが文字として共有される」ということはまったく自然であり。イーリアスも源氏物語もシェークスピアもそうだった。Web時代の出版は、目への依存を切った「コンテンツ」から始まると思われる。 (鎌田、02/14/2019)

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