ケータイ小説からWattpadへ

新しい「LINEノベル」が期待しているのは、「ケータイ小説」の再現である。しかしその爆発的成功に比べて、後の挫折については「メディアとしてのケータイ」に帰して片づけられてきた印象が強い。ケータイ小説は海外からも注目されていたが、理由はWeb出版としての先駆性にある。じっさい21世紀の「ストーリー」はその上に始まった。

「ケータイ」小説の先駆性

1980年代に生まれた投稿小説は、2000年代の「ケータイ小説」として商業的に大きな成功を収めた。その流れが、なぜWeb/モバイル時代に引き継がれなかったのか?筆者もこの点は最近までよくわからなかった。フィーチャーフォンの技術的限界ということで単純化し、出版モデルとしての革新性が見えていなかったのだ。

「ケータイ小説」の成功は、欧米の出版界にも届いており、当時日本を訪れてレポートを書いていた人も少なくない。「Webの登場で出版にどのようなビジネスモデルが生まれるか」というテーマで、フランクフルト・ブックフェアが各国を調査し、筆者もドイツの友人の紹介で参加したのだが、日本についての大きな関心はケータイとゲームだった。

とくに、調査チームの関心は、著者・読者のラインが出版社を経ずに共有され、著者やジャンルを中心にしたオーディエンスが形成されたことだった。そして「ストーリー」に対する読者の反応が驚くほどアクティブであり、その共有がコミュニケーションの重層性をともなっていたことであった。新しい若者文化が日本の強いゲーム産業と結びつけば、アジアを席巻する可能性もある。この仮説は、海外の出版人の社会学的関心でもあった。

Webでスタートした「ストーリー」ビジネス

筆者は、ITの知識経験を求められていたこと、そして当時 (2010年前後)の日本の状況もあり、関心は「EPUB3+日本語」で、「ケータイ小説」についてもEPUB3という枠から見ていた。調査レポートは、ビジネスモデルとしては「Webに乗らなければ発展は見込めない」という、いささか素っ気ない結論。著者と読者が、作品としてよりも「話/ストーリー」を共有して直結し、若い読書世代にブームを起こしたことは、その後Webとどう関係するかわかりにくいものだっだ。

「ケータイ小説」ブームの終焉については、研究する価値があり、現にそれから学んだと考えられているWattpadの成功が大きいだけに、そこにはビジネスとして以上の意味がある。テクノロジー環境の変化も考えなければならない。批判を覚悟(いや期待)して、とりあえず理由として考えられることを列挙してみたい。

  1. 事業主体における戦略性の欠如:ケータイへの依存
  2. プラットフォーム性の欠如:書籍流通への依存
  3. ソーシャル性の欠如:スト―リー以外に共有した情報の貧弱性
  4. 若者=市場を育てる(成長させる)長期的な取り組みへの関心の低さ
  5. 紙との性急な統合(オーディエンスと書籍読者の乖離)
  6. 尊重されるべき著者、読者の軽視。市場拡大=制度化とファンの離反

これらは、Wattpadにおいて見事に解消され、後述するように、多くの点でアマゾンとは別のWeb戦略を機能させている。 (鎌田、04/25/2019)

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