「私紀」か「ストーリー」か:日本国紀の十字架

出版界で最もエネルギッシュな幻冬舎の社長が、特定作家の実売部数をTwitterで公表して批判を浴び、謝罪して「閉鎖」した。筆者は「部数暴露」問題が当事者を超えた「社会」的ルール違反の問題であるかどうかの判断はもたない。注目したのは、騒動の渦中で「時代錯誤な出版社という存在はもういらない。作家が直販すればいい」という声まで飛び出したことだ。極論が正論に聞こえる時代だ。

Web時代の「本」の軽さと「国紀」という重さ

最初にコトを整理しておくと、まず (1) 幻冬舎のベストセラー、百田尚樹氏の『日本国紀』がウィキペディア等からの数々の転用を含んでいることへの(主にブログ上での)批判だ。そして(2) 批判の中に、幻冬舎から刊行の予定があった津原泰水氏がいて、(3)「憤激」した見城 徹社長がTwitter上での津原氏の販売実績暴露に及び、(4) これを「タブー」破りと見た第三者作家やメディアを含んだ「騒動」となった。出版としては、『日本国紀』における転用問題が重く、これを議論するルールをつくれなかったことが、その鬱憤で感情を爆発させ、Web時代の本質問題(出版社は社会にとってどう必要なものか)につながったのだと思う。

ストレスの多い出版事業におられる見城社長は、眠くもなれば、興奮もさせる力のある言葉を扱う出版ビジネスにあって「ことあげ」を懼れないスタイルを一貫してきた。私としては同情を禁じ得ないのだが、いまひとつ、問題書を問題として話を動かす「ストーリーテリング」を別に考えていれば、と思わずにはいられない。米国のブックマーケティングはそうした発想で動き始めている。

本の出版をめぐる社会環境は、すでに「書評・書店」を中心とした時代から比べて一変している。そもそも『日本国紀』の成功もその証明であるのだが、Webにおける本の社会的成功は、読者にどのような「ストーリー」として共有されるかの問題になったということだ。しかし、この本は主に伝統的な「書評」空間の関係者で問題にされ、まず「史実性」や「転載・引用」などが問われた。「売れた」著者や版元が成功を誇るのは当然だが、また当然にも「本」としての社会性への批判を強く浴びることになる。少なくともその半分には正当性がある。それは「歴史であり物語り」として書かれ、「紀」である以上は勅撰の響きを持ち、一般的ではない紀伝の「紀」の字を使っているからでもある。元号どころではなく、著者/版元には、出版者としての「説明責任」が求められる。これをクリアして支持者を増やせなければ次の話に移れないだろう。

自由な「私家版」物語りの可能性

「記紀」は、奈良時代に編纂された『古事記』の「記」と『日本書紀』の「紀」を合わせたものだが、勅撰国史は、「出版」という習慣も社会もなかった時代に生まれたもので、慣習として定着しないまま平安時代の「六国史」で終わっている。後代の公的機関の手になる「徳川実記」や「明治天皇紀」などの「文書」はあっても、個人の「私紀」は寡聞にして聞かない。Webの21世紀に「記」ではなく「紀」をものしたのはじつにいい度胸だが炎上までは予測していなかったようだ。著者と出版社は「版」時代の「本」としての意識さえ薄かったのだろうが、著者の影響力から言って「史書」性にまつわるあらゆる問題が起こることは避けられなかった。

いっそのこと、Webでの「物語り」として始めて、反響を確かめながら「私家版」として「紀」を始めたらどうだったろう。私家版は、もともと営利を目的としない個人出版物を意味したが、合理的な範囲での営利性なら、出版物としての公共性を主張できると思われる。ともかく、これだけ(良い意味で)話題を巻き起こす出版物は、社会的価値がある。神話、歴史、軍記などはすべて人間によって書かれた「物語り」であるが、宗教や政治によって規範性を持ち、法律によって「表現の自由」に影響を与える。「物語り」は、ものごとの由来や結末を書いたもの 'story' であり、フィクションと歴史の違いが事実性 (factuality)でしかないとすれば、進化論も創世記も歴史教科書で使わなければならなくなる。

見城氏は角川「野生時代」以来の個性的大編集者だが、もしかして「私紀」という危険な領域に踏み込んだのかも知れない。言葉の意味に厳密なら、『日本国紀』は政治的に危険な書名であり、当否は別として、この国にいる限り、あらゆる災いが降りかかる恐れを振り払えないだろう。「白鵬の三本締め」どころの話ではない。言論の自由などでは護れそうもない。たぶんご本人もそのことに気づいたと思う。筆者としては、非中心的、非完結的な、Webとしての新しい「日本国ストーリー」に挑戦されることに期待している。

出版社は、いつの時代もその「仕事」をパートナー(著者、書店、図書館)と読者から評価されるべき存在であって「肩書」や「奥付」などではないだろう。 (鎌田、05/21/2019)

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