コミックは音/声をどう消化するか(1): 音声コミックの登場

米国のコミック大手のMarvel Entertainment が、Dreamscape と提携して、9月から本格的なオーディオブック出版に乗り出すことを発表した。発売予定の数十タイトルは、アマゾン、Audible、iBooks、Google、Overdriveを含むほとんどのオーディオプラットフォーム・サイト。最初はスパイダー・マンやXメンなどのクラシックを並べるようだ。

「CRASSHHHH!!」という完璧な世界

グラフィック+オーディオは、2004年にThe Cutting Corporationが開発し 2007年にGraphicAudioというブランドで製作サービスを始めた。Audibleと同じだが、最初はあまり出版を意識せず、映画と効果音/音楽を使うソースだった。まずDCコミックスのバットマンなどがコンテンツ化されている。しかし、すぐに跳ぶことはなかった。マーベルが動いたのは2013年以降で、徐々にリリースを増やしてきた。商品・市場としての成熟はアニメより簡単ではなかった。コミックやグラフィックノベルは最初から注目されたのたのだが、UI/UXは、クリエイター、読者が参加して「工学的」に進めるしかない、ということが理解されたと思われる。

筆者のしろうと考えだが、コミックはもともと音を目で「感じる」ように独特のスタイルが開発され定着している。アメコミでは効果音「表記」(CRASSHH!)、マンガでは「音喩」(ぬるぬる)などである。これは文字の「図像化」や「表記の開発」によって活字の限界を超え、印刷を含めた「産業的表現技術の体系」として成功したものと言えよう。これはクリエイターが作品として創造したものが、読者を通じて社会的に共有されたもので、一世代くらいかかると思われる。「むずんぱ」や「CRASSHHHH!」(どちらも筆者には意味不明)は、編集者が許容しなければ世に出ることはないからだ。これが「言語の社会性(生命)」だろう。生命は誕生・成長・成熟・衰退するが、社会的なものには「死滅」はなく「復活」して別のサイクルを繰り返す。芸術的創造の秘密はそこにあると思う。ゼロから生まれるものはなく、先行者・継承者がなければ創造はない。模倣・複製の時代の末期(デジタル)を生きてきた筆者の醒めた実感だ。

コミックはすでに完璧な世界で、「蛇足」と嘲笑されるのはいいほうで、コンピュータがゲーム=体験をぶちこわすことになりかねない。使い方しだいで観客のUXを損なうサッカーの「ビデオ判定」(審判補助システム)と同じだ。

継承と創造を同時に体験する社会

コミックには、中国宋本で完成された「版画挿絵」という祖型があり、美術的には「浮世絵」、物語的には「マンガ」につながっている。いずれも「民衆化=商業化」という側面を代表している。連続表現という作画/製作技術的に最もクリエイティブな到達点を示していると思われる。コミックによる音声の導入は、活字の電子化などとは比較にならない、写本から木版を通り越して活字にいくような断絶がある。木版→活字の移行では、日本語と表記の巨大な変化があり、コンテンツである「文学」の再構築があったことは知られている。「出版は過去と未来を現在としてつなげる」ものということは筆者が最も意識していることだが、それは「明治の言語改革」がその後の日本語と社会の発展の歪みを生じているためだ。

筆者に言えることは、文字や表記に比べても皆無に近いが、文化において重要なことは「体験」という価値であり、断絶=破壊を防ぐこと。そのためには隔離して将来の統合に委ねることもありだと思う。作品は保存可能だが、体験は社会の中で生きるしかないからだ。そして外国で新しい生存環境を発見することは、文化遺伝子のサバイバルのために不可欠だと思う。楳図かずおや水木しげるのつくった「世界」を継承するのは難しいが、やってみないことには始まらない。 (鎌田、06/6/2019)

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