テクノロジーは、出版の歴史の転換点を画してきた。「グーテンベルク以来」の変化を期待するものは、文字と紙を置換えてきた「デジタル」ではなく、出版とコミュニケーションのすべてに関係するWebであったことが明らかになった。このことはまだ共通認識とはなっていないと思われる。木版と活字印刷との違いを理解するのに、相当な時間がかかったようなものだ。Webの意味が理解されるのは、5Gからだと筆者は考えている。
5Gが関係する「国家」「中国」「社会」
5Gは、テクノロジーから国際面に躍るテーマとなったが、まだこれが「出版」を大きく変えることになるとは考えられていない。デジタルの先端技術はきまって「高速大容量」として喧伝され、「新機能」や「サービス」として登場するまで待つわけだが、5Gは予想より遥かに早いはずだ。
理由は、この技術には最初から「国家」が推進しているからだ。しかも「中国」であり、悪いことには「社会」を直接変えるものとなるからだ。あろうことか、米国が5Gを「見送る」に等しい誤った判断をしたこととも関係がある。
中国がなぜこの戦略的判断をしたのか、筆者には不明だが、少なくとも5Gが社会のコミュニケーション革命につながる技術である可能性が強く、しかしそれは社会の安定にとって好ましい範囲内で「コントロール可能」であると判断したことになろう。中国の懸念は「出版」に関わるものだろう。インターネットを生んだ米国が躊躇し、後発で自信を深めた中国が一気にアクセルを全開にした状況だ。インターネットで後塵を拝した日本としては、米国に同調して躊躇する気分が強いのは理解できる。しかし、5Gからは逃げられない。逃げれば追いつけなくなる。1位でなくても構わないが、乗らないと消えてしまうほかないからだ。
5Gからは逃げられない
筆者も、5Gについてはまだ勉強中の段階なのだが、最近「5Gと出版」についての情報が、米国と中国のWebビジネス・メディアでしばしば見かけるようになってきた。そこで、本誌でも検討を始めたいと思う。技術的な話を避け、(1)過去のデジタルの経験、(2)コミュニケーションが変える社会と出版、(3) 出版の社会的価値とビジネス、という3つを中心にするつもりだ。まずは、皆さんも目撃されてきた「デジタル経験」から。
「これ以上のIT」を無用と言う人はつねにいる。たしかに自分とは関係がない、ということは多い。しかし、忘れてならないのは、ITにおける高速大容量は、必ずしも先端的な用途を必要とせず、逆に必ず「ふつうのユーザー、豊富なサービス、安いコスト」を普及させることを意味するということだ。
つまりはビジネスが拡大するということで、多くの人(社会)に関係する。競争条件が変われば、サービス内容を変えるか価格を変えざるを得ない。「出版」の一部が、高速なITにとって代わるのは当然だ。このプロセスはもう数十年も続いているのだが、いまだに関係者が先を見通せたという例は少ない。「過去の出版」をルーティンにしているためだ。
多くの人がウンザリしていることなら、何も変わらないと考えておられるようだが、それでは済まない。かつての「発展途上国」にはウンザリ感もアキアキ感もない。さらに、あらゆる時代の出版を経験してきた中国は、理想的な環境にあり、コストを気にせずに最新技術を実験的な用途に使い、これまでにない「サービス価値」を開発している。5Gもそうした技術環境の一つだ。モバイル決済がすぐに普及したように、「最新技術」を標準的に使用できる国ほど低コスト、高効率で利用できる。つまり経済成長につながる。
なぜ中国が夢中になったか。それは「儲かる・楽しい・大義がある」からであり、しかも「活字印刷」で大失敗をして「近現代」の失われた世紀を経験したからだ。5Gを失えば、21世紀の重力は、日本人にとってとくに重たいものとなるだろう。◆ (鎌田、09/26/2019)