「自主出版」連載の会員向け記事に読者からご質問をいただき、これを機会に考えてみることにした。(1) 非商業的出版(出版なしでも「生まれてくる本」)の比重が年々増加し、(2) 逆にそうした「出版」の商業的可能性が拡大している理由をどう考えるか、ということだ。新しい出版モデルは、版中心の硬直的な体制を抜けたところにある。
- 非商業的出版(出版なしでも「生まれてくる本」)の比重が年々増加している(KDP、Kindle Unlimited)
- 非商業的「出版」の商業的可能性が拡大している(Wattpad=Web出版など)
過去20年あまりの出版の「デジタル化」において本質的に重要な現象は、この「生まれてくる本」の問題だと思う。「出版」の敷居が低くなり、「ロングテール」部分の商業的価値が発見されたことは知られているが、それによって伝統的な「非対称的」世界が動揺してしまい。視点・論点の共有が難しくなっている。だからメディアに近い人ほど口が重くなる。本誌十年にして、筆者は最近分かってきたような気がするのでまとめてみたいと思う。
以下は、読者の質問への答の形をとっている。
非対称時代の出版は経済的に持続困難となった
最も簡単な答は、「出版」におカネをかけず、逆におカネにする方法が開発・提供されてきたことだと思います。時間とおカネはいくらかけても足りないのがメディア・ビジネスですが、それは5W1Hのコンテクスト(個別的意味=価値)を扱う「コミュニケーション」の難しさに依ります。たかだか5千部、1万部を売る苦労はご承知の通りです。
ワープロとDTPなどで「活字」が一般に解放され、Web 2.0で「ソーシャル/メディア」が解放されたことで、旧メディアが独占してきた「希少性」は、それ自体では価値を訴求できなくなりました。これは世の中の「トレンド」や「話題」を集約し、ハイライトして「話」を集める雑誌(日本の場合は週刊・月刊誌)の機能低下に表れています。理由はいろいろありますが、それまで紙と放送の上で展開されていたコミュニケーションが、オンラインに流出/流通するようになり、より直接的、多角的、多次元的で多様な情報に接するようになったことです。それによって人々の「メディア体験」は根本的に変わりました。
再帰的コミュニケーションによる恒常性
当然ながら、紙と放送のコミュニケーションのプロフェッショナルでは、スピードと量に追いつけません。いやそうした仕事を評価して対価を払ってくれるメディアが成り立っていない。考えてみれば、いくら優秀な編集者やライターでも、たまに書く本だけで作家をやっていけるわけはありません。「話」の商品性が評価されるのは目と耳を集中させる能力に秀でたお笑い芸人くらいなものです。こうしたことは目の前にある現実ですが、そこから出発してビジネスを構築しているのがアマゾンであり、会員8,000万人に達したWattpadです。
これらの企業は、旧メディアに依存せず、逆にその意味=価値をユーザー毎に再発見するというアプローチをとっています。出版をおカネにするとは、出版を読者(消費者・ユーザー)との間の再帰的なプロセスとし、コミュニケーションの流れを、恒常的・対話的にすることですが、それによってサービス機会を増やし、おカネにすることができるわけです。
非商業的なモノやサービスを商業的なものと組合わせることで全体の持続性・拡大性は高まる。私がこれまでに発見した(と考えている)ことはそうしたことです。従来の出版モデルと対比してみましょう。◆ (鎌田、10/24/2019)