ドイツ書籍流通産業連盟が2018年に経済・法学者に調査を委嘱した「書籍価格の固定制の影響についての総合的研究」の報告書が昨年11月に完成し、フランクフルトのPublishing Perspectivesが英文記事で紹介していた。依頼者の「イデオロギー」的立場は明確で、結論も予想通りだが、近く出版刊行される報告書には重要な発見を含むものと思われる。
買取り・固定価格は非日本的
「グーテンベルク出版」は、固定価格こそ本の品質と多様性(その他もろもろ)を保障する最善のシステムである、と信じられている。日本の出版関連団体から毎年、ドイツを訪れる関係者が少なくないのも、ドイツの「連盟」が固定制の「総本山」になっているものと思われる。しかし日本の出版は買取制のドイツと似た部分があまりに少なく、書店の買取抜きの固定価格は(取次の国営以外には)非現実的である。「ドイツの良心的な」ものは称讃に値し、この調査の価値は疑わないが、その出版が今の時代との間でズレが拡大している
どんなシステムにも長短があるが、日本的「計らい配本」は書店の返本負担が重く、単純に「良心的」な出版社、書店から淘汰されるような気がする。主観的な「品質と多様性」はデジタルな結果となる「競争と採算性」で勝てないからだ。ドイツの連盟が基準としている本は、書店を閏すビジネス書やベストセラーよりは、学識者や教育者を満足させる伝統的「良書」に傾いている傾向が感じられる。その結果、グーテンベルク産業は、閉鎖系システムと化しており、前提と結論のフレームが同じ、非科学的、非現実的な傾向である。
旧中国はなぜグーテンベルク革命を軽視したのか
本調査は時間をかけて精査する必要があるが、20世紀の方法と価値観で21世紀の現実を見ている可能性が大きい。課題と価値は普遍的なものではない。それを反省し、検証しない調査は危険だ。筆者も、1年前だったら良心的「旧知識人」の仕事をさほど気にしなかったが、Webコミュニケーション革命の2020年代の感覚として間違っていると思う。
これは明代の木版出版の隆盛とともに近世出版の黄金期を迎えた中国が、同時代で最高レベルの知識人官僚を擁しながら、グーテンベルク革命以後の西欧の「爆発的進化」を理解せず、「近代」の社会変革、科学革命に停滞した15-17世紀を想起させるものがある。中国のエリートたちは当時の中国的教養での「品質と多様性」の閉鎖的循環を「進化」に置換えていたのだ(肖像は張居正=1525-1582)。同様に「グーテンベルク出版」も循環性、中毒性がある。AIの21世紀に問われているのは、「爆発的進化」である。グーテンベルクの国の人々は、筆硯の業の永遠の夢から覚めた中国人と同じ経験が必要なのだろうか。◆ (鎌田、01/14/2020)