オーディオブックは、歴史的に分かれた「音声言語」を復権しただけではなく、音声/文字の融合という新しい可能性を生んだ。しかしそれを生かすためには、退化した音声、退廃した文字を使う能力を取り戻さなければならないだろう。幸いにして、世界的に音声/文字出版がデジタルで揃いつつある。Audibleは、フランスにおける昨年の調査結果を発表した。
音声言語/出版がデジタルで並ぶ意味
Audibleは、フランスにおけるオーディオブックの体験率は2018年比で19%上昇し、18.8%に達したことを明らかにした。人気はフィクション、SF、スリラーとなっている。英国に続いて、保守的なフランスでも音声言語コンテンツが普及期に入ったことを示すものと言えよう。
デバイスは73.5%がスマートフォンで、38.8%がPC、33.4%がタブレット。AlexaやGoogle Homeなど専用スピーカーは少なく、まだポピュラーでもない。40%は自宅で聴くが、39%は就寝前、30.2%は家事のバックと、あまり真剣 (?)でない。それに米国人が注目したところは、83%は独りで聴くこと。米国では「家族」か「二人」という体験であるのが一般的だからだ。本は独りで聴くのが「フランス的」なのかもしれない。
21世紀の最初の10年で、音声読書は欧米で表舞台に復帰した。これは文字の発明、活字の発明以来の大事件で、じつはこれこそが出版のデジタル革命の本質と考えるべきではないかと筆者は考えている。文字言語と音声言語の(再)統合ということにしないとうまく収まらないからだ。国家言語こそ近代文明と世界戦争の「バベルの時代」を生んだからで、もしAIが言語分裂への有力な答を提供することになれば、通常の教育によっては使いこなせない「断定的」(definitive)で危ない性質を持つ文字言語を活字という形で使用する間違いの原因を減らすことになる気がしている。
「文字」コミュニケーションの危機
文字の緊張感は、社会的言語や言語作品の創造性の源泉だが、それは破壊的にも破滅的にもなる。うまく解決するとは限らないからだ。教育は、多様なインタフェースを教えるには時間に限りがある。あるいはそのために有効な教育はまだ生まれていない。オーディオブックは活字本から「唯一の原本」としての権威にも疑問を生じさせた。出版の職人あるいは専門家は、複雑すぎる「稿」や「版」の「意味」を扱いきれない。デジタルの時代の現実は、新しいメディアで解決する方法を考えるしかないだろう。
アメリカ語は音声言語と文字言語を接近させ、出版と教育とともにグローバルに強力な言語を確立した。フランス語は、近代において音声と意味、形式性を美的に融合した。そして「中国語」は表意文字の標準をもとに数千年の歴史を重ねている。21世紀において、人類が手にしているのは「音声出版」と「文字出版」の手段であり、出版は現代のニーズに対して、これらを組合わせて応えていくだろう。日本にとっては、明治以来の「日本語の再創造」を迎える。◆ (鎌田、05/26/2020)