文字から始まった「電子」から「Web」まで40年あまりの出版の歴史を追ってきたが、どうにか結論に近づいたことは確かなようだ。あまりに鮮やかなLCDでなく、「電子ペーパー」というインテリジェントな「紙」が後を継ぐと考えれば思い残せること、残したい人も多いと思う。ともかくこれは「紙」であり、記録・保存性は十分すぎるほどある。
サービス指向の出版
紙に印刷された冊子本から生まれた、精密な工芸的産業社会システムであった20世紀出版は、Webとコロナ禍という偶然の世界的事件によって600年あまりの歴史を絶たれようとしている。このあとの「健康寿命」が長からんことを願いつつも、すぐに必要なことは、持続可能な出版モデルを、Web上にデザインすることだろう。
- 基本的にはWebを土台としたサービスを価値の源泉とするビジネスモデル
- 従来の品質と可用性の出版を半額以下で読者に供給する。
- 著者+編集者にとっての持続可能な「ライフモデル」の開発。
- 印刷物に依存しない、サービス中心のビジネスモデル。
詳細は、すでに生まれてきたビジネスモデルを組み換えることでできるであろう。そして中国やロシア(そしてインド)は、サービス指向出版(これは別に論じる)へと動いており、EUは非社会主義型出版を指向することになるだろうが、19世紀型商業出版は小さなものとなる。
Webの紙としての電子(ペーパー)
「本」は一人の人間の意のままになってこそ最高の「価値」を発揮できる(はずである)。もしそんな状態があるとすれば、それ以上の知的環境はないだろう。と古代の賢者はそう考えた。現実には、利用できる本も、知識も資産も限られている。彼らは帝王とその後継者たちを唆して「世界図書館」(といっても研究・蒐集・編纂・教育を兼ねた総合研究センター)をつくらせた。それはこの世とあの世の知(と力)を利用できるように出来るはずだった。
それによって得られること(もの)は途方もない価値をもたらすはずである、と賢者たちは語った。必要な費用と時間は膨大だが、それは「王の想像力と資産」より大きなものではないだろう。古代世界最大の帝国を築いたアリストテレスの弟子のアレキサンダー大王(の後継者たち)は、この図書館の夢を一大プロジェクトとした。中国の賢者たちも同様な「王立図書館」を構築し、哲学的志向や実務的必要に合わせたアーカイヴを三千年以上にわたって継続することに成功した。
重要なことは、それは様々な知的レベルの「ユーザー」を前提として、最高の知識人と専門スタッフ(キュレーター、知識専門家)を要しており、彼らなしでは王者と言えども文献を使うことは困難だった。結局古代帝国は維持困難になり、普通レベルの王国や市民図書館になったのだが、それは「ユーザー」の特定が困難となり、システムとしての図書館の再構築が困難になったためだ。米国の議会図書館は、「世俗的・市民的帝国図書館」としての威容と威厳を感じさせるが、それは「本」とは本来どのようなもので、どのような扱いを要求するものであるかを実感できる稀有な機会だからだ。◆(2へ続く)