2020年は、オバマ前大統領夫妻のそれぞれのベストセラーのほかには、トランプ・ノンフィクションくらいしか目立った作品がなかった。出版界にも貢献を重ねている順当かつ重厚な自伝が受賞した。ニューヨークの出版界にとっても嬉しいことに違いない。二人は読書家としても知られており、米国の読書教育の鏡で、「前大統領」とはあらゆる意味で対照的だからだ。
読解力は「話す」ことで得られる
筆者は米国で高等教育を受けた経験はないが、高い読書教育を受けた人々から間接的に教えを受けた経験がある。言語能力や説明能力に優れており、自分が得意なのは日本語くらいだと実感した。米国の読書教育は、IBMの"Think"のように、「読む→考える→議論する」を土台にした、かなりハードなものだが、読む読書と聴く読書の両方が必須で、しかもバランスが重要であり、言語能力には「指向性」も「嗜好性」もあるから、かなり多様な会話が必要になる。
オーディオブックのサブスクリプションが欧米で普及しているのは、いわゆる「読解力」などのほかに、多角的なコミュニケーション能力が認知・評価されてきているためと思われる。日本でも「読解力ブーム」があるが、必要なのは人間との「会話」で、その点では、聴く読書は読解にも大きな意味がある。読むことは(多くの場合)自分自身との対話に終わる。
トランプ前大統領の「痛快」パフォーマンスはプロレスで生まれた
トランプ氏のプロレス流がWWEのオーナー、ヴィンス・マクマホン氏の「直伝」であることはよく知られている。これは「ストーリー・テリング」で、シナリオのある舞台ではもちろん強い。そして人々は、この「ディールの達人」がいつかプロレスのマットに登場し、悪玉レスラーを「成敗」する場面を夢に見るようになる。敗戦後の日本プロレスもこれで感動を与えられた。ちなみにプロレスのUX(ユーザー・エクスペリエンス)は特別なもので、時代とヒーローとストーリーに依存する。筆者も幼少時にプロレスを生で見たが、記憶は強烈だ。
政治=選挙=まつり=出版=メディア…、ということは、1980年代から20年あまりの米国で何度か体験した。当時の雰囲気を思い出すと、じつに「よい時代」だったということだろう。そして「戦争」が近づき、「内戦」を感じさせるものとなった今回は、遊戯から喧嘩、暴動に至る過程を見るようだった。今回ばかりは、あの国に居なくてよかった。
まず本物の声を聴け
オーストリア人のアーノルド・シュワルツェネッガー氏は、1月6日の「米国議事堂襲撃事件」を1938年の反ユダヤ暴動(水晶の夜)を想起させるものと述べた。「最も危険な国からの警告」だ。非寛容(→憎悪)は冷笑(現実否定、反知性主義)につながる。20世紀の2つの大戦の経験はさほど遠くはなかった。メディアはつねにニュートラルなものでしかない。しかし、歴史からよく考えようとする人には、それなりによいものとなるかもしれない。
情報が役に立つのは、それを適切に判断しようとする限りにおいてだ。つまりは、「よい友人」からの情報に限られるだろう。21世紀の最初の経験は、人間がサバイバビリティを向上させる上で役に立つだろう。第二次大戦後のように、人々は本を選ぶ能力を重視するようになる。そのための合理的な方法の一つが「サブスクリプション」であることは間違いない。重要なことは、ライブ音声の説得力は、文字の読解力を凌ぐということだ。われわれは「声が使える」時代に生まれた。より大きな力は毛筆くらいしかない。◆ (鎌田、01/14/2021)
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