2020年は、出版をめぐる「システムの変化」の年となるはずだったが、(パンデミックによる)社会的/世界的なシステムの変化が先行して、われわれにとっての本題である「グーテンベルク以来」がかすんでしまったかに思えた。しかし、結局のところ「19-20世紀の残滓」は、そのままでは継続不可能であることが証明された。出版も政治も、ディスラプトなしでは不可能だったろう。[全文=♥会員 *1/25まで一般公開]
本の秩序は「デジタル」とともに再び始まった
印刷冊子出版のリバイバルは、ビニール盤レコードのように、「愛藏」したくなるものだ。しかし、ビニルレコードほどには希少性という価値が足りない。その割にはまだ価格が高すぎると思われる。冊子本の良さは、新刊本、復刻版、ペーパーバック、古書、オンデマンドなど様々な形態と価格があるが、ますます多様で流動的になっていくだろう。
米国でも昨年はE-Bookの「相場」が形成される時期と言われた。E-Bookの有用性とともに、印刷本の価値を知る層は拡大している。ビッグファイブのひとつサイモン&シュスター社の売却は、その「古書」の黄金時代の始まりである可能性が強い。
学術・教育のデジタル/オープン化の進展
「デジタル・マイグレーション」は完了した。つまり、あらゆるフォーマットの本が提供され、それぞれの価値を評価する顧客を得られる時代が来たということだ。
E-Bookに始まり、オーディオブック、サブスクリプション、PDFに至る「本」は、印刷本によって価格が確定する(自由になる)。つまり、売り手と買い手、仲介者の三者による価格決定というものが「非グーテンベルク」だとすれば、Webは最もグーテンベルクから遠い世界だ。アマゾンが目ざしていたものは「自由価格」であったであったようだ。
一方、本における価格の2本柱を支えていた「学術・教育」は、Wiley社がオープンアクセス・プラットフォーム(OAP)の一角を昨年買収したことで、グーテンベルクの伝統を受継ぐ版元のオープン化が一気に進んだ(これについては次回記事で説明)。
商業出版のデジタル化は、時間調整のため遅れてきた感があるが、パンデミックで同期させたのであろう。オープンアクセスは、WWWのイニシアティブであり、もちろん、そちらが先であった可能性が強い。ともかく2020年が、出版と学術研究における記念すべき年となったとすれば慶賀すべきことだ。次回では、商業出版にも関係が深い「オープンアクセス」の話をしてみたい。◆ (鎌田、01/14/2021)