ICTと「第4次産業革命」という言葉は、1980年代に続く経済社会変革として総務省が提唱したものだ。つまり、2010年代の基盤を土台に、より知識集約的で自然再生的、能力拡張的な文明観を表現したものと言える。21世紀初頭の技術的な楽観主義がコンセンサスではあるが、ICTはその後も政府の基本戦略として維持されてきた(平成30年版・情報通信(ICT)白書)。
ICTモデルとは何か
しかし、例えば出版事業を2015年以降のICT(コンテンツ・アプリケーション市場)として認識している関係者は極めて少ないように思える。実際には印刷・出版事業が変わらず、顧客マーケティングも流通もコンテンツ時代と変わっていないためである。
対照的に、日本でも知られるアドビシステムズ社と比較してみると、同社は印刷・出版・デジタル・パッケージ中心から、主力商品の「Photoshop」をサブスクリプション・モデルに変更した。アドビのICTモデルは、顧客に提供しているサービスと価値を一変させつつ、コスト構造を一変させ、2015年以降でICTを大部分に拡大したのだ。
これはアドビ社が、デザイナーのためのソフトウェアを開発するソフトウェア・サービスの会社から、デザイナーのための製品とサービスを提供するビジネスの会社に成長し、その事業を拡大させたことを示している。その過程で、ICTはすべての物理的制約を克服することに成功した。グーテンベルクのテクノロジーを、機械やITで開発してきたアドビ社が、すべてオンラインで提供するようになったということだ。
総務省の早すぎた「予言」
しかし、経済社会変革をリードすべき「コミュニケーション」の高度化は、市場と産業・社会の成長として反映されているとは思えない。高度情報化や人工知能は、「第4次の延長」すら進んでいないレベルで、出版、教育、R&Dが前進しているとは思えない。ICTは社会のコミュニケーション道具の高度化によって「だまっていても成長」という意識を持たせてしまったようだ。銀塩カメラがデジカメに替ったことで「市場」を一変させ、ワープロが登場したことで「手作業」を身の回りから遠ざけ、幼年時代から苦心して身に付けた「記録し、考える」身体的習慣を道具に委ねていったようだ。デジタルとICTは物理的制約を容易く超えられる…。
「第3次産業革命」は、1880年代から1世紀をかけて身に付け、その後は常識として一体化させ、あるいは習慣として退化させていったのだが、コミュニケーションの「高度化」は無意識で進むことはない。このことを忘れていたように思われる。
社会は無意識のうちに分裂を育て、意識することで解決・進化するというのが「第3次」をともかく乗り切ってきた近代・先進国の歴史だったといえよう。中国やインドなど、20世紀後半に「発展途上国」にランクされた国は、分裂した社会という現実と向き合いつつ、コミュニケーションの高度化を進めていった。「第4次産業革命」がこうした国にこそ急速な発展の機会をもたらしたのは当然であろう。
「第4次産業革命」時の21世紀の環境は一変したが…
与件としての「第4次産業革命」は、われわれには避けがたい。「第3次」を回避しようとして出来なかった「途上国」のように。総務省は「人口減少時代のICTによる持続的成長」をビジョンとしている。これはビジョンとして正しいのであって、もちろん「見通し」ではないが、社会としてはICTシナリオを目的意識的に実現すべきだろう。コロナ後の世界で実現することは、旧ソフトウェア・ビジネス時代のアドビの(Photoshop事業)のような比較不可能なことだ。
総務省の「第4次革命」は、皮肉なことに世界的には人口増大時代の成長要因として実現された。中国などは1880年代から1世紀あまりの苦難と「文革」という動乱(17-18世紀の欧州の社会革命に匹敵する)を経て、「第3-4次産業革命」に間に合ってきたものだ。後者はコミュニケーション革命を中心としたものである。「第4次革命」はすでに中国に最適化された形で実現されている。
日本は20世紀初頭とは正反対の状況の下で、ICTを迎えなければならなくなった。もしかしてICT革命の先頭にいた可能性もあったのだが、状況は最悪ではないにしてもそれに近いものかもしれない。確かなことは、(1) 「第4次産業革命」は日本でも実現性がある。(2)それは第4次の中核となっているのは、機械式出版ではなく、知識・コミュニケーション技術であり、(3) エネルギー技術ではなく、人口やコンテンツ・コミュニケーション、AI技術である。(つづく) ◆ (鎌田、01/25/2026)
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