米国の児童書出版社、スカラスティック社は、今年2月3日、10回目となる「世界音読デー (World Read Aloud Day: WRAD)」イベントを開催した。日本ではまだ「黙読」の流れが強いが、いまや音読が世界標準になりつつあり、黙読主流の日本は遅れをとっている。「視読本」はしだいに読まれないとすれば、読書活動が衰退する可能性は大きい。あらためて「音読」の意味を考えてみたい。
音読は「強い」
本には「音読・共有」することで社会にとっての共有財産になるものがある。パンデミックの状況では、人々に力を与える。E-Bookやオーディオブックの普及によって、世界の隅々で「音読」が特別な意味を持ったようだ。各国の出版社が最も力を入れているのは、音読に値する「言葉」で、それは印刷が出版を個人のものにする以前からの習慣となっている。
OECDの読解テストでも、音読が重視されている。なぜなら共有されるコンテクストを「読み解く」リーダーシップが求められているからで、音読は個人的な技能に止まるものではない。
近年の「音読」イベントは、世界170ヵ国以上、数100万人以上、子供から大人までがオンラインで参加する巨大イベントとなっている。これは、出版社はもちろん、著者、読者、教育者の参加によって膨張した結果である。『ハリー・ポッター』の米国での版元のスカラスティックは、ここではLit Worldを前面に出している。
もちろん、音読を推奨するのは、やさしい本をどんどん買ってもらおうという趣旨なのだが、それ以外にも教育的効果・心理的効果などが確認されている。もはや小中学校で「音読を実践しない「父親」は「情操的問題」と指摘されるほどだ。「音読」の教育的効果は、一般的に以下のような点が強調されている。
- 家族・友人などで、本の言葉を声に出して親密な感情を共有する。
- 音読は、鮮やかな、情感や情景と結びついた意味をもたらす。
- 愛する人の傍に居る安心感を得(与)える。
- 学習を深める(疑問を提起するなどして) 。
- 子どもがもっと可愛くなる。
音読とライフステージの形成
日本で黙読を普及させたのは、漢字の読み書き水準と活字出版であったと思われる。識字率を重視した日本の教育は、活字出版を重視し、児童・青少年の読書活動を「学校と市場」に放任した結果、ライフステージ別の市場が構築されなかった。スカラスティック社は典型だが、堅固なライブラリを構築できれば、メンテナンスは容易だ。オーディオブックも毎年20%を超えているし、新刊も拡充できる。
かつて黙読・音読の価値は、漢字・活字を前提とし、法律・経済本に慣れた読者を重視していたと聞いた。いつの間にか、そうした「難しい」本を苦も無く読める人が減り、意味はおろか、漢字が怪しくなってしまった。少子化で読める子も伸び悩み、読めない大人は(実際には)増えている。そろそろ出版の再構築を考える時期にあると思われる。そこでは「文字改革」も避けて通れない◆ (鎌田、02/11/2021)。