アマゾンは4月13日、著者自身が連続的に書き足すのに適したストーリー・プラットフォーム Kindle Vella をスタートさせたことを発表した。基本的にKindleの既存プラットフォーム(iOS/Kindle Direct Publishing )を援用したものだが、10年も昔に始まっていたWattpadが全世界ユーザー1億人に届くのに対し「遅すぎ」という疑問が浮かんでくる。これは新しい「何か」なのだろうか。それとも「真似」だろうか。
中国のWebマーケティング・パラダイム
ひとつの見方をとれば、Kindle以後の「簡易」フォーマットで、Wattpad以降、中国や日本などに生まれている世界的な現象への適応である。本に限らず、フィクションに限らず、フリー・フォームに対応する。別の見方をすれば、これはKindle (Direct Publishing) からの脱却である。もちろん、Kindle は「本」に限定したものではなかったが、これまではほとんど紙(クリエイティブ)の出版を支えるものとしてあった。その役割は十分に果たしてきたし、在来出版から、自主出版、デジタル出版など、すべての出版を丁重に扱ったことで、Kindle Unlimitedにまで成長し、総合的なプラットフォームとして機能してきたのだ。
しかし、パンデミック以後の出版は、本と書店を必要としない(あるいは必要とする人を必要としない)ものとなった。中国騰訊 (Tencent)のようなグローバル・プラットフォームは、オーディエンス化、映像化、シリアル化、ジャンル化、コマーシャライズを統合した、ディズニー型のマーケティング戦略を採用し、成功している。そして読者と著者、企業を富裕にする可能性が大きい。問題は、これはアマゾンの出版ビジョンとは、たぶん違っていると思われることだ。
クリエイティブか「人為」か
これまで、アマゾンKindleは、在来出版のスタイルを維持しつつ、デジタル/Webへのプロセスを残してきた。オール・デジタルとなれば「本」とは扱われず、「データ」で終わる可能性もある。Kindleは、グーテンベルクの「冊子本」のかたちとしてつくり、いつでも復元可能なフォーマットにしていた。Wattpadの「Web出版」は、下書きの体裁をもった「ストーリー」で、第三者と共有しつつ本へのプロセスを確かめる「プラットフォーム」だ。
アマゾンの「本」は、Kindleの道を意識の上からも外していたようだ。これは伝統的な「クリエイティブ」としての本と出版が自然な社会的なコミュニケーションを発展させるからで、いわば人為的な出版市場の拡大・操作はアマゾンのコマース・プラットフォームとしてプラスにはならないと考えていたためと思われる。
しかし、中国の出版ビジネスは、どうやらアマゾンよりカゲキだ。それは自然な資本主義よりも、「実事求是」の理念的な資本主義が強いからだ。Webマーケティングは「デジタル・ネイティブ」なぶん、紙や活字の影はあまりない。Kindle Vellaは騰訊に影響されることはなく、クリエイティブ路線を維持するか、独自マーケティングを明確にするだろう。もっとも、騰訊の「資本主義の道」が米国で成功してしまったら、どうしようもないが。これまでの関連情報を見たところでは、「Kindle風」というものではまったくなく、「Wattpad風」と考えて間違いない。欧米風よりはインドやアジア、ラテン風で、若い女性にフォーカスしていると思われる。
◆ (鎌田、04/20/2021)