いま風にいえば、本は「ソーシャル・ネットワーキング」から生れる。それに関わる人々の知識空間とその磁力が強ければ、ネットワークは時代を超えて成長していく。中野幹隆という偉大な編集者が手がけ、平凡社・西田裕一氏によって復刊された、先駆的なDTP本『普遍論争』(山内志朗、1992, 2008)は、フルデジタル時代の劈頭にあって、出版の意味、本の運命を問いかける。ここに西田氏の一文を転載させていただく。 [編集子蛇足] ... [続きを読む]
小林龍生
電子出版余談:書物の解体新書第一ラウンド
臨済宗開祖・臨済の言葉に「仏に逢うては仏を殺せ。(中略)…始めて解脱を得ん」というのがある。小林さんは「本を殺す(滅する)ことで大悟し、解脱を得たようだ。ページは本の背で支えられている。背を断たれた本はもはや本ではない。オーラを亡くしたものに物神性を継承させようとするのは不可能だ。ではE-Bookを本と考える根拠は何だろうか。6年前のこの対話は、重要な問題を先取りしていた。 ... [続きを読む]
電子出版余談:電書コンソーシアムまたは諫言のかなた
ここでご紹介する「発掘」資料は、小林さんが約12年前に「電子書籍コンソーシアム」の総括として書かれたもの。当事者の総括としては前代未聞。歯切れよく、コトの本質を突いたテーゼになっており、今日でも光彩を放っている。というより、誰も反省しなかったね。ここ数年の「プロジェクト」はまさに惰眠の中で放置された「幻想」の拡大再生産だった。高い授業料を払った失敗にこそ価値がある。学べる人さえいれば。 ... [続きを読む]
電子出版史談:(5)ギロチンと安斎さん
小林さんがかねてより代行を使わない、文字通りの“自炊”をやっておられることは知っていた。しかし、製本屋さんで手伝いをしたことがある編集子には、“破壊的複写”は生理的に受け付けられない。遺体安置所、解剖室のようなものだ。それだけに、ご本人も「人格に影響を与えるような大きな経験」と書いているビフォー&アフターがいかなるものかを知りたかった。狷介不羈にして本を愛すること尋常でない人物が、闊達自在な解剖医に転進したのだから。 [鎌田解題] ... [続きを読む]
コンテンツとテクノロジーの対話:(1)Palmと猫
小林さんの新シリーズ・コラム。画家にとって画材とキャンバスが重要であるように、本においても実装技術は中身に大いに関わる。木版本では、半丁(頁)あたり9行取り18字詰めが基本となったが、このスタイルは活字印刷時代にも継承された一方で、新聞のように判型・文字組みが多様化していった。どうもそれは文章表現にも大いに影響を与えたようだ。漱石の本は今日でもフォーマットのデモによく使われるが、スタイルの扱いは要注意。 (鎌田解題) ... [続きを読む]
電子出版史談:(4)一太郎文藝と及川さん
電子出版史談:(2)大地と『普遍論争』
日本ではまったく人気がない中世哲学の最難関である普遍論争の解説書として書かれ、名実ともに成功作となった山内 志朗著『普遍論争―近代の源流としての』(哲学書房、1992)という本は、出版というコトを考えるのに好個の事例を提供している。現在は平凡社ライブラリーの一巻として収録(2008)されており、個人的にもデジタル化してほしい本の上位にランクされる。DTPの黎明期に企画・制作された同書の誕生秘話が、プロデュースした小林さんによって語られる。(鎌田解題) ... [続きを読む]
小林龍生の電子出版史談:「大地」とユズさん(1)
このほどIDPFのボードに選出された小林龍生さんに本フォーラムへの寄稿をお願いできることになった。電子出版は、ワープロとDTPに始まり、コンテンツストアとリーダで一つのサイクルを完成させたと考えているが、この20-25年の間に、今日のほとんどの問題が顔を出していたことを痛感する。日本と世界の現場で、この稀有な転換期を経験した小林さんほど、証人として適切な人を知らない。過去のエピソードを交え、昨日と明日の電子出版の中心問題を綴っていただく。(鎌田解題) ... [続きを読む]