小林(龍生)さんの困ったところは ―もちろん最大の長所なのだが― 面白いネタと手掛かりを人の前に投げ出し、こちらがとびつくと、すぐまた別のものを目の前にちらつかせるところだ。来月号の入稿が迫っている時に、一刻も待てない別のアイデアを持ってこられる。漫談にはあまりに惜しく、こちらは何か成果をモノにしないといけないと思うから、メモリもCPUもOSも旧式な頭にウィンドウが次々に開いて困惑するほかない。今回はほとほと参った。せめて記憶が鮮明なうちに、「実感と断定」という最も素朴な方法で印象をメモしておきたい。 ... [続きを読む]
拡張E-Book
和本論からE-Bookへ(4):出版のエコシステムとは
前回述べた、脱グーテンベルク(G)研究会の方向性をもう少し敷衍してみたい。和本エコシステムを生成・発展・消滅というライフサイクルで見たことで、エコシステムを成り立たせているもの、時には消滅にも導くものに目を向けることになった。これは紙の大量生産と紙製品としての書物の消費の上に成立してきたG的エコシステムの行方をどう予測し、どう対応すべきかを考えるのに役立つ。(鎌田博樹) ... [続きを読む]
和本論からE-Book(3):書物とコミュニケーション
和本論から始まった脱グーテンベルク研究会の第3回(2月1日)は、近藤泰弘教授(青山学院・日本語学)を迎え、古典を翻刻・再現する場合に問題となる日本語/表記の問題を考える機会を得た。コミュニケーションの空間を規定する言語は「生きもの」であり、社会的に多様であると同時に歴史的に変遷している。そしてそのあり方は言葉の容器としての書物の形態に依存する。言語と書物そして読書行為にまで踏み込むには、さらに大きめのテーマ設定が必要になってきた。そこでことしの秋までは続きそうな新しいフレームワークについてお話してみたい。 (鎌田博樹) ... [続きを読む]
和本論からE-Bookへ (2):共感装置としての書物を蘇らせる
これまで世界の古典籍の電子化は、画像データ化を意味していた。これは必要なステップだが、それで書物が当時実現してきた読書体験が、今日の人々に共有されるわけではない。それらを活字に翻刻し、注釈を入れ、あるいは現代語訳したものが、やはり別の一面を伝えるものでしかないように。では全体性にアプローチする方法はないものだろうか。紙に拘らなければ、可能ではないか、というのが脱Gの出発点。(左の絵は岩佐又兵衛『小栗判官絵巻』) ... [続きを読む]
和本論からE-Bookへ (1):書物としての絵巻
出版コンテンツ論 (3):サービス指向E-Book
昨日の記事に多くのアクセスとコメントをいただいた。次回以降で、コンテンツ自体のソシアビリティを実現するモデルと出版社/編集者の仕事について考えていきたい。問題の組立て方が間違っていなければ答は見つかるはずだ、というのが筆者の信念でチャレンジしているが、ご協力いただければ幸い。そこで分かりやすくなるように図で表現してみた。本サイトが目指す “E-Book 2.0”の性格を「サービス指向E-Book」あるいはBook as a Service (BaaS)と呼ぼうと考えている。 ... [続きを読む]
出版コンテンツ論 (2):E-Bookのソシアビリティ
コンテンツは社会的概念であり、コンテンツがコンテンツであるためにはコンテクストを実装する必要がある。コンテクストの提供(社会化機能)をクラウドプラットフォームに依存している現在のコンテンツの形態は、出版社にとってまったく不利なものだ。印刷本が持っていた、実体としてのオーラが失われつつある現在、出版社はE-Bookのユーザビリティを通じてソシアビリティを高め、読者との間のインタラクションを構築する必要がある。つまり本をソーシャルメディアとするのだ。 ... [続きを読む]