日本の職人文化は世界から賞賛されてきたものだが、それはアートがあるからだ。それこそテクノロジーの進化の源泉でもある。だが残念ながら職人は仕事でしか語ってくれず、それが分かる繊細さを持った人しか聞くことができない。昔の編集者は、現場で職人と「対話」しつつ出版のアートの理解を深めることが出来た。今日「活字文化」が言われる割には、活版時代の活字と組版を省みる人は多くない。真似をするための技術であるデジタルがそこにあるというのに。(編集子解題) ... [続きを読む]
電子出版史談
電子出版史談:(7)『藪の中』と山口さん
文学作品がデジタルで読まれるようになって、文学解析がかなり一般化した。これは日本の文芸批評を(たぶん良い方向に)変えていくものと思われる。もう一つ、方向性は定かではないが、デジタル・ストーリーテリング、あるいは「電子作話術」というテーマがある。XMLドキュメント管理ツールとこれらが、5年も前に結びついていたことを編集子は初めて知った。暇になったらジェームス・ジョイスやヴァージニア・ウルフでも解析してみたい。 [鎌田解題] ... [続きを読む]
電子出版史談:(6)『電子聖書』と中野さん
電子出版余談:『普遍論争』と中野さん異聞
いま風にいえば、本は「ソーシャル・ネットワーキング」から生れる。それに関わる人々の知識空間とその磁力が強ければ、ネットワークは時代を超えて成長していく。中野幹隆という偉大な編集者が手がけ、平凡社・西田裕一氏によって復刊された、先駆的なDTP本『普遍論争』(山内志朗、1992, 2008)は、フルデジタル時代の劈頭にあって、出版の意味、本の運命を問いかける。ここに西田氏の一文を転載させていただく。 [編集子蛇足] ... [続きを読む]
電子出版余談:書物の解体新書第一ラウンド
臨済宗開祖・臨済の言葉に「仏に逢うては仏を殺せ。(中略)…始めて解脱を得ん」というのがある。小林さんは「本を殺す(滅する)ことで大悟し、解脱を得たようだ。ページは本の背で支えられている。背を断たれた本はもはや本ではない。オーラを亡くしたものに物神性を継承させようとするのは不可能だ。ではE-Bookを本と考える根拠は何だろうか。6年前のこの対話は、重要な問題を先取りしていた。 ... [続きを読む]
電子出版余談:電書コンソーシアムまたは諫言のかなた
ここでご紹介する「発掘」資料は、小林さんが約12年前に「電子書籍コンソーシアム」の総括として書かれたもの。当事者の総括としては前代未聞。歯切れよく、コトの本質を突いたテーゼになっており、今日でも光彩を放っている。というより、誰も反省しなかったね。ここ数年の「プロジェクト」はまさに惰眠の中で放置された「幻想」の拡大再生産だった。高い授業料を払った失敗にこそ価値がある。学べる人さえいれば。 ... [続きを読む]
電子出版史談:(5)ギロチンと安斎さん
小林さんがかねてより代行を使わない、文字通りの“自炊”をやっておられることは知っていた。しかし、製本屋さんで手伝いをしたことがある編集子には、“破壊的複写”は生理的に受け付けられない。遺体安置所、解剖室のようなものだ。それだけに、ご本人も「人格に影響を与えるような大きな経験」と書いているビフォー&アフターがいかなるものかを知りたかった。狷介不羈にして本を愛すること尋常でない人物が、闊達自在な解剖医に転進したのだから。 [鎌田解題] ... [続きを読む]
電子出版史談:(4)一太郎文藝と及川さん
電子出版史談:(3)「大地」とユズさん(2)
DTPとは、編集者が「自由に」(もちろん制約の中で)何でも出来ると言われて何が出来るか、という話だったのではないか、といま思う。編集子も「版」との苦闘の末に知ったことは、漠然としたイメージでは何も実現できないこと、組版には歴史の中で形成されてきたルールがあるが、実現技術のベースが変われば、先人が直面したあらゆる問題に遭遇するということだった。柚口さんはじつに勇敢な方だった。いまの「電子出版」に最も必要なものだ。 (鎌田 解題) ... [続きを読む]
電子出版史談:(2)大地と『普遍論争』
日本ではまったく人気がない中世哲学の最難関である普遍論争の解説書として書かれ、名実ともに成功作となった山内 志朗著『普遍論争―近代の源流としての』(哲学書房、1992)という本は、出版というコトを考えるのに好個の事例を提供している。現在は平凡社ライブラリーの一巻として収録(2008)されており、個人的にもデジタル化してほしい本の上位にランクされる。DTPの黎明期に企画・制作された同書の誕生秘話が、プロデュースした小林さんによって語られる。(鎌田解題) ... [続きを読む]